婚外恋愛と不倫 8
8月からアクセス解析がついたので、このブログがどんなページからのリンクをたどって、どのような検索の結果で来ていただいたのかがわかって面白い。
その結果、どのページが一番興味を持って読まれているか、というと断トツで「婚外恋愛と不倫」シリーズなのだ。
実はこの内容は、5年ほど前、書籍化を画策したテーマなのだが、「人妻の不倫」が社会的にどういう意味を持つかを検証するというのは、私もどこからどう扱っていいかわからなかったし、人に説明してもなかなか理解されなかった。
類似書としては、亀山早苗氏の『不倫の恋で苦しむ~』シリーズなどが上げられるのだろうが、生意気ながら「配偶者以外との恋愛を間違いとはいえない」という着地点に終わる同書には不満であった。
また、参考図書として衿野未矢氏の『依存症の女たち』を下さった編集者の方もいたが、私が書きたかったのは「女たちの物語」ではなかった。
確かにひとつ一つのケースを当事者から聞いていけば、そこに彼らなりの理やそうならざるをえなかったストーリーは当然ある。
けれどもそれは偶然の組み合わせによるドラマではなく、ましてや本人が思っているような「必然」や「運命」ではないと私は思っていた。
例えば、彼らの恋愛を「不倫」たらしめているのは、現在の結婚制度であり、家族制度である。
『不倫で苦しむ~』シリーズは、そのバックグランドに対する問い直しという作業までたどりついていないところが不満だったのだ(最近は亀山氏の著作を読んでいないため、近作についてはわからないが)。
一方、当事者である不倫している男女にそうした問題意識について尋ねても、まったく要領を得ない。女性は「自分と相手男性と配偶者の関係性」というごく限られた部分にしか目を向けようとしないし、男性からは口説き半分のつまらぬ恋愛(セックス)論を聞かされるばかりである。
そうした無収穫な取材しかできなかったが、多少乱暴ではあるが、私はいくつかの仮説を立てた。ブログやインターネット日記に見られる主に女性側から見た不倫には次のような社会心理的な問題を含む要素がある、という仮説である。
A.立場によるアイデンティティの崩壊
家族の集合体や企業社会という均一なコミュニティのなかで長く生活していくことによって、妻や母親といった立場や役割に埋もれて、自己意識はあいまいになる。
不倫を通じて「自分とは何か」を探るうちに「性」としての自己確認が行われ、不倫相手によって、自分が“特別な異性(女)”として認められることによってアイデンティティの再確立が図られていく。
~「不倫することによって女である自分を取り戻した/自分は(良い意味で)変わった」「自分が不倫相手にとっていかに特別な女であるか」という内容の記述から
B.家庭における夫婦のディスコミュニケーションと男性優位へのアンチテーゼ
女性にとって、所属するコミュニティ(家庭や地域や企業など)での自己主張は難しい面もある。まして、専業主婦は、夫の収入で生活しているという負い目があるせいか、夫の価値観に反する言動をしにくいという生きづらさがある。
それが蓄積されてルサンチマンとなり、他の異性を愛することでリベンジを図るという意識と無意識、不倫を通じて違う人生への可能性を探る手段としている。
~配偶者に対する不満や、「不倫相手と自分がいかによきパートナーシップを保っているか」の内容、「ゆくゆくは(不倫相手と)一緒になりたい」などの記述から
C.競争社会のなかの“癒し”としての恋愛
今の30~40代は子ども時代から競争にさらされてきた世代であり、たえず「他者」を意識し比較することでしか、自己を確認できないという心理が培養されている。
学力や入った学校の偏差値、就職した企業の知名度、結婚後は夫の財力、子どもの発達や成績、外見や内面の魅力などにおいて、自己の優位性が認められなければ、安心できないという心理状態に陥ったり、それがないと思うことで不必要なコンプレックスに苛まれている人は少なくない。
数年前のヒット曲『世界にひとつだけの花』の歌詞にあるように、“誰もが特別なオンリーワン”と言ったところで、本人が自分の特別性を信じられなければ意味がない。
相手を特別視することから始まる恋愛関係という状況では、自分のなかにある特別性や(他者との)優位性を確認しやすい。
地道な結婚生活のなかではなかなか味わえない感覚であるがゆえに「不倫」という状況にますますのめりこみやすい。
~不倫相手を通して語られる自分の美しさや内面性の良さ(自慢)、「家庭で癒されない自分たちは相手によって癒される」などの記述から
D.加齢への恐怖感による恋愛依存
「アンチエイジング」が時代のキーワードとなって久しいが、「若さ」が価値を持つ日本の社会において、「老い」は恐怖となり得る。
恋愛の高揚感によって若さを維持させたいという願望やそうあるべきという恋愛観が既婚者の恋愛を肯定する価値観のベースにある。
~「一生“現役”(の女)でいたい」「(心身の)若さを保つためにいくつになっても恋/セックスは必要」などの記述から
E.原体験としての愛情飢餓がもたらす恋愛依存
不倫女性の日記やブログを読んでいると、自分の親が不倫し、その結果として家庭不和や家庭崩壊を招いたという経験をしている人が少なくない。
また、不倫という要因はなくても親から虐待されたり、そこまでいかなくても温かみのない厳しさでしつけられたことで心に傷を抱えているというケースももある。
そういう家庭を築いた両親を反面教師とし、自分だけは幸せな家庭を築くのだと心がけていても、配偶者や子どもとどう接したらいいかわからずコミュニケーションに苦しむ。
インターネット上に文章を書くことを通じて、そうした問題点を認識しているにもかかわらず、愛情体験に乏しいため、無責任なセックスでそれを埋めようとしたり、その相手との関係を「(リスク込みであるがゆえの)強い愛情」と思い込む陥穽がある。
この5つの要素が、それぞれのケースに応じて(単独、あるいは組み合わさって)絡み、インターネットや携帯端末などを用いた通信技術の発達が、状況を加速、膨張させている。
これは女性からの視座で文章化しているが、男性に関してもこれらの問題は確実に存在するはずだ。
一体いくつの不倫日記・ブログを読み、その筆者と何通のメールを交わしただろうか、また、男性への取材は、日記やブログで自分の不倫を書いている人が少ないので、わざわざ自ら出会いサイトに登録してメール交換やチャットなどを試みた。
その苦しいコミュニケーションの結果、彼女たちの恋物語は決して単なるロマンスではなく、生きづらい世の中が生んだ社会状況の一環ではないかと思ったのだ。
もちろん、ひとつ一つのケースそれぞれは「特別な関係」であり、何かの範疇に括ったり、傾向を割り出したりすることが乱暴な試みであることは承知している。
不倫関係から始まっても、今では家族となっているT子さんのようなケースもあるのだから、既婚者だからといって独身者の恋愛とは違うバイアスをかけてみようとするのも、当事者にとっては不愉快なことだろう。
その意味では、既婚者の婚外恋愛といっても、「たかが不倫」であり、「特別」というよりは、数多くある男女の関係性のひとつに過ぎない。
けれども、それを「特別な関係」として表現しているのは、他ならぬ当事者の彼女たちであり、それを特別たらしめている意識(無意識を含む)には、それを培養した社会的背景があるということだ。
個別のケースがもつ物語よりは、むしろその社会状況に興味が興味があったのだが、学者でない私が論じるには、あまりに大きすぎるテーマだったかも知れない。


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