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April 28, 2007

言論でテロは起こせません

【「言論によるテロ」=週刊誌報道に激高-安倍首相 】

安倍晋三首相は24日夜、「週刊朝日」の最新号に掲載された長崎市長銃撃事件の容疑者と首相の元秘書をめぐる記事について、「全くのでっち上げでねつ造だ。いわば言論によるテロではないかと思う。これは報道ではなく政治運動ではないかとすら言いたくなる」と激しく批判した。首相官邸で記者団に語った。
            (4月24日23時0分配信 時事通信)

yahooが提供しているインターネット上の辞書「大辞泉」によると、テロリズム【terrorism】とは、「政治的目的を達成するために、暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義。テロ」 だそうだ。
一方、「大辞林」では「一定の政治目的を実現するために暗殺・暴行などの手段を行使することを認める主義、およびそれに基づく暴力の行使。テロ」とある。

要するに、「テロ」の定義には「直接的暴力」が介入するということがポイントだろう。
安部首相は、朝日新聞社が首相官邸に爆弾を仕掛けたとでも言うのだろうか、何かを盾にとって脅迫されたとでも言いたいのだろうか?

「言論」ではどうやっても「テロ」は起こせない。だから表現や言論は自由であるべきなのだ。
民主主義国家の首相がこんなこともわからないというのは大問題だと思う。
マスコミも「言論によるテロ」つまり「言論」や「表現」でテロを起こせるという認識を容認してはいけない。きちんと否定しなければ。
そうでまないと、今のような「テロ対策」という言葉の前には自由もプライバシーも手放さなければならないという風潮は改められるどころか、ますます強化されるだろう。「共謀罪」なんてその最たるものではないだろうか。

確かに、イラク人質事件の被害者に対する「自己責任論」を発端としたバッシングのように、ときに自由な言論や表現が人の心を傷つけることもある。
けれど、彼らと安部首相は立場がまったく違う。たとえ当該記事が根拠なき誹謗中傷だったとしても、仮にも一国の総理大臣、もっと冷静な態度で対応して欲しいと思うのは叶わぬ希望だろうか。

また、首相の逆鱗に触れて謝罪広告を出すなど『週刊朝日』の対応もお粗末としか言いようがない。今回のような記事はもっと深く取材し、きちんと根拠を固めてから報道すべき種類の情報である。
面白半分の記事でも、読者の一瞬の歓心を買いさえすればいいという体質が、先走った報道となって表れたのではないか。
その反省があることを前提としても、首相の発言に対しては「言論でテロは起こせません」ときっぱり言うべきだ。

表現者の端くれとして何度でも言う。
「言論ではテロは起こせません。だから言論や表現は自由であるべきなんです」 と。
この点について言及する人をほとんど見かけないことが、不安でたまらない。

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April 24, 2007

痛みに対するある種の鈍感と無関心

【特急トイレで女性暴行、36歳男を再逮捕
                   …乗客知らんぷり】

 JR北陸線の特急電車内で昨年8月、女性客に乱暴したとして、大阪府警淀川署は21日、滋賀県湖南市の解体工事業、植園貴光被告(36)(強姦=ごうかん=罪などで公判中)を強姦容疑で再逮捕した。
 同じ車両には約40人の乗客がおり、異状に気付いた人もいたが、植園被告にすごまれ、制止や通報ができなかったという。
 植園被告は昨年12月、JR湖西線の電車内と大津市内の駅トイレで2件の女性暴行事件を起こしたとして起訴され、今月6日、大津地裁で開かれた初公判で起訴事実を認めていた。
 調べでは、植園被告は昨年8月3日午後9時20分ごろ、特急「サンダーバード」(9両)が福井駅を出発した直後、旅行客の大阪市内に住む20歳代の女性の隣に座り、「声を出すな、殺すぞ」と脅して体を触り始め、同10時45分に京都駅を出発後、トイレに連れ込んで暴行した疑い。
            (4月22日21時9分配信 読売新聞)


なんとも嫌なニュースが流れた。
犯人の男が酷いのはいうまでもないが、なぜそれ以外の乗客が誰一人として動かなかったのか。
あまりに情けないというのは簡単だけれど、自分がその場にいたら、何ができただろうか。
下手に動いたとしても、かえって被害者の生命を危険にさらす結果になったかもしれない。

だから、どうするのが正しかったのかなんて、今さら言っても仕方ないかもしれないけれど、この女性の身になって考えたとき、やはり事件を黙殺した同乗者たちもある意味加害者と同類に思えただろう。

あえて蒸し返すようにこの事件のことを書くのは、こうした態度が、どうしても従軍慰安婦問題(戦時性暴力)に対する大方の見方と重なるからだ。
さらにいえば、「いじめ」の現場における「傍観者」が、結果的に「加害者」と同じ役割を果たしている構図と同じだ。
(政府が「いじめ撲滅」ほどに、「レイプ(性犯罪)撲滅」に対して真剣に取り組んでいるように見えないのも不可解だ。「いじめ」よりも「レイプ」の方がはるかに定義が明確で、政策的な取り組みもしやすいはずだが。)

その「大方(傍観者)」に自分が含まれないとは言わない。
私も間違いなくその一員だ。
だからあえて書く。

どうして私たちは、「力あるもの」の前に簡単にひれ伏すのだろう。
そして、ひれ伏した顔で左右を見回して同じような顔があることで安心し、すぐに忘れてしまうのだろう。
強烈な痛みを伴う体験について「自分がその立場だったら」の想像を「自分でなくて良かった」という幸運への感謝で終わらせてしまうのは、なぜなんだろう。
この種の鈍感と無関心は、いつから癖になったのだろうか。

考えてばかりでは変わらない。動く癖を身に付けなければ。

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April 12, 2007

これでいいのか、給食費問題

【給食費滞納、宇都宮市が確約書配布…「保証人」に苦情も】
 宇都宮市教委は、市立小中学校93校に通う児童・生徒(約4万人)の保護者全員に今年度から「給食費納入確約書」の提出を求めることを決め、書類の配布を始めた。
 支払いが滞った場合に備えて連帯保証人も求めており、保護者からは「きちんと払っているのに保証人まで必要なのか」などと苦情が寄せられている。
 確約書は市長あてで、「私は、学校給食費を納入期限までに納入することを確約します」という内容。連帯保証人については住所、氏名、電話番号を記すほか、押印も求めている。
(中略)
 06年度も新たな滞納があり、市教委は「保護者の意識を高めるため」と確約書を求めることにした。ただ、「給食費を払っているが、保証人の選定は難しいという場合は、個別相談に応じるよう校長にお願いしてある」という。保証人の記入欄がある確約書を求める方法は、長野県伊那市教委が05年度から行っている。
       (2007年4月12日0時23分 読売新聞)


一年半前から就任した市長の公約(マニフェストというんでしょうか)は、市内公立中学への完全給食実施だった。
それだけのために当選したのかどうかはわからないけれど、給食を待望するお母さんが多かったのは事実。
確かに子ども3人に旦那さんと自分の分までお弁当を作って出勤してるというお母さんの話を聞くと大変だろうな、と思う。

うちも中学入学前は弁当作りが憂鬱で仕方なかったけど、まぁ一人分だし、朝から電子レンジの音を鳴らしまくってはいるけれど、慣れてしまえばどうってことないと思っていた。
ただ、息子の中学には校内に軽食を買えるような購買部もないし、通学路にコンビニもないので、完全給食でなくてもいいからどうしても弁当を作れないときに昼食を注文できれば助かると、給食実施に関するアンケートにはそう書いた。

そして昨年から、朝、業者に給食を注文すればお昼に届けてくれるシステムが導入されたのだが、この給食が「少ない・まずい」と頗る評判が悪い。
その結果、今も冷凍食品の半額セールに走り回り、朝から台所でピーピーいわせているわけだ。

上記のニュースについて(ミクシイで)日記を書いてる人の反応を見ると、このやり方に概ね好意的。いいのか? そんなんで(笑)。
公教育の主旨から考えれば、宇都宮市の措置は大きく外れている。
これが徹底されれば、給食費を本当に払えない(それなりに経済力のある保証人を頼めない)家庭の子は欠食児童となり、義務教育の公立学校内がすでに格差を前提とした場になる。
その状態が進行すれば、おそらく地域の篤志家やボランティア団体などが支援に立ち上がると思うが、そういう構図を「地域での教育力」などと呼んでいいのだろうか? 
いずれにせよ、昨年末の教育基本法の改定以来、公教育の本質が変わってしまった以上、何ともいえない。

しかし、これからこういう自治体は増えるのではないか? 
アレルギー持ちや給食嫌いの子にも無理やり同じものを食べさせて、その上、給食費の支払いを連帯保証人付で確約させるなんて、まるでヤ●ザまがいの手口に見えるが、こういうことに文句もいわず、ただ「給食費を払わない親が悪い」とする風潮が、要するに「民意」なのだとしたら、本当に憂鬱になる。

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April 08, 2007

せつない野球の話

 息子のTは中3、小学3年生のときから野球をやっています。
 それまで運動は苦手で、ボーイスカウトで登山に行っても最後尾をべそかきながらついていくような子だったのが、気が付けばチームの副将となってキャッチャーを務め、4番バッターとして県大会にも出場しました。
 彼にとって野球はアイデンティティであり、指導者たちは父親代わり、チームメイトは兄弟といっても過言ではないでしょう。

 これからもずっと野球を続け、できれば高校では甲子園を目指し、そして将来はプロになって、チャンスがあればメジャーにも行きたい。
 今どきの野球少年が夢見ていることを、当然のように考えていたようです。
 私にとっても、何も考えず、好きな野球に熱中しているTの姿を見るのは幸せなことでした。

 今、県下有数のマンモス校である息子の中学校の野球部の人数は一学年約25人。
 そのうち、試合に出られる先発レギュラーになれるのは9人、大体3人に1人の割合です。
 Tに与えられる背番号は13から15というところ。
 週末になると、彼の関心は、次の試合に出られるかどうかに占められ、その希望が叶えられなくて落ち込んだり、気持ちを荒ませたりしているのを心穏やかに見守るのは、私にとっても難しいことです。

 顧問の先生にとってもここは悩むところでしょう。理想としては、すべての生徒、部員を平等に扱うべきだとわかっていても、レギュラーメンバーを強化しなくては公式戦では勝ち進めないのも事実です。
 だから、どうしてもそれが日常の練習内容や態度に出てしまうのでしょう。それも無理からぬことかもしれません。

 しかし、そんな現実に子どもたちが傷つくのも無理からぬことです。
 小学校から野球を続けてきた子たちのなかにも、途中で退部、休部する子も出てきました。
 また、部活だけが原因ではないでしょうが、不登校になる子も表れ、いじめや暴力事件も私が知っているだけで3件起こっています。

 野球は息子の世界ですから、私は基本的に直接立ち入ることはしません。
 ただ弁当を作って送り出し、都合がつけば試合を応援しに行ったり、頼まれれば当番の仕事をするだけです。
 「レギュラーになりたいなら他人の数倍努力しなきゃ。ゲームをする時間があったら素振りをしなさい」とか
 「背番号さえもらえない子のことを考えたら、あなたはベンチ入りできただけでも恵まれてるのよ」とか
 「松坂とかイチローとか一生野球のことだけ考えていられる人はほんの一握りよ。もっと現実的に将来のことを考えなさい」とか。
 そんな風に助言するのも親の役目なのかもしれませんが、これらは何となく言いたくない言葉なのです。

 絶え間ない競争を経て、チャンスがあれば上位を狙い、下位を牽制しながら、組織のなかで自分なりのポジションを得る。
 今の野球部での活動を中心としたTの中学生活は、彼が日本人男性の標準的なライフサイクルに組み込まれつつあることを象徴しているように思います。

 私はできれば、Tには、いえ彼に限らず今の子どもたちには違う生き方をしてほしい。
 人と競争したり、比べたりすることでアイデンティティを確立するのではなく、もっと自分の個性を大事に、勉強でもスポーツでも仕事でも、いきいきできる世界を掴んで欲しいと思っています。
 私なりにそんな気持ちを話してはみるものの、今ひとつきちんと伝えられている自信はありません。
 それは、未だに自分が納得できるような現実を作れていない私自身に対する居心地の悪さのせいかもしれませんが。

 昨日も遠征試合を応援に行きました。いい試合でしたが、Tが出場することはなく、それを思うとやはりせつない気持ちになります。
 野球や学校だけが「世界」ではない。もっと広い視野を持って欲しい、親として大人として、そう教えてやりたいのですが、そのためには私ももっと自分に自信を持てるようにならないとね。

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