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January 31, 2007

機械ではない

【「子産む機械」で野党、審議拒否構え
                   …与党にも辞任論】
 民主党の小沢代表、社民党の福島党首、国民新党の綿貫代表は30日昼、国会内で会談し、「(女性は)子供を産む機械」と発言した柳沢厚生労働相の辞任を求め、辞任しなければ31日以降の衆院予算委員会の審議に応じない方針を決めた。
 (中略) 
 野党3党の党首会談では、「人として許されない暴言で、容認できない」という見解で一致した。3党首はその後、塩崎官房長官を首相官邸に訪ね、厚労相の辞任を求める安倍首相あての文書を手渡した。これに対し、塩崎氏は「誤解を与える発言だったことは事実で、申し訳ない」と謝罪した。
           (1月30日22時39分 読売新聞)


 人は機械ではない。そんなのは当然で、柳沢厚労相もまさか本気で女性を「産む機械」などと思っているわけではないだろう。そんなことはわかっている。
 問題は、この国の政治家が国民をどう見てるかということで、この現実はもっと広く深く認識されなければならないことだと思う。

 何の感情も持たず、安いコストで与えられたコマンド通りに動く生産性の高い機械、政治家が求めているのはそんな国民像で、そんな機械が何億台もあれれば、出生数を上げて国民を増やすよりも、よほど都合がいいのかもしれない。

 人は機械ではない。いろんなことを思い、考え、それに振り回されたり、それを表現しながら生きている。だから人間は素晴らしいし、それと同時にやっかいだ。
 ときとして「いっそのこと機械になりたい」という思いにかられながらも、やっぱり人間は機械にはなれない。
 どんなに辛く、どんなに感情を殺そうとしても、人間であることをやめられない。そして機械になる必要など全くないのだ。

 辛いときは泣き、怒りを感じたらそれを訴え、疲れたら休み、うれしいときは喜び、わくわくすることを求め、人生を楽しみ、大いに語り、自分を表現して生きていけばいい。
 愛し、愛され、その関係のなかで子どもを生み、育て、子どもも大人もともに成長していけばいい。

 私たちは機械ではない。
 私の人生はわたしのもの。
 あなたの人生もあなたのもの。
 誰にも自分の人生を売り渡してはいけない。
 自分の価値は自分で決め、フェアトレードしよう。

 自分を信じ、自分を大切にし、自分のやりたいことをやっていけばいい。
 そのために最大限の努力をしよう。
 国や社会のために傷つく必要はない。理不尽な要求には「ノー」と言おう。
 そのために闘おう。

 私たちは人間だ。コマンドで動く機械ではない。法律や制度が変わろうと、そのことは当然で、誰もがわかっている。
 生きている限り、人間を辞める必要はない。
 人間を機械扱いする国に食い殺されないためには、誰もがそんな生き方を貫くことだ。

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January 25, 2007

データを読むコツ

【給食費滞納、全国で22億円超
             …6割は「モラル低下」】
 学校給食費の滞納問題で、文部科学省は24日、初の全国調査結果を公表し、2005年度の小中学校の滞納総額が22億円超にのぼることを明らかにした。
 児童・生徒数で見ると、100人に1人が滞納していた計算だ。滞納があった学校の6割は、「保護者の責任感や規範意識が原因」としており、経済的に払えるのに払わない保護者の存在が改めて浮き彫りになった。
 (中略)
 文科省は昨年11~12月、給食を実施している全国の国公私立の小中学校計3万1921校を対象に、05年度の給食費の徴収状況などを調べた。
 それによると、43・6%に当たる1万3907の小中学校で給食費の滞納があり、滞納総額は22億2963万円だった。滞納率(本来徴収されるべき給食費に占める滞納額の割合)は0・5%。児童・生徒数では9万8993人だった。
 (中略)
 各学校に滞納の主な原因をたずねたところ、「保護者としての責任感や規範意識」をあげた学校が60・0%、「保護者の経済的な問題」をあげた学校は33・1%だった。
 (後略)
(2007年1月24日23時34分 読売新聞)


 私は基本的に来た仕事は断らない、いわゆる「何でもライター」だが、得意分野のようなものを尋ねられるときには一応「データ読み」と答えている(ただし「得意」と「好き」は別である)。 
 「データ読み」とは、統計やデータの数字が何を表しているのかの仮説を立てたり、すでにある仮説に対して反論することである。
 と書くと、エラく難しいことのように感じられるだろうが、実はコツをつかめばそれほど難解な作業ではなく、私自身がそうであるように必ずしも統計学や数値解析の知識は必要としない。

 では「データ読み」のコツとは何か?
 まず、仮説を立てるときには、知りたい現象についてのバックグランドについて明確にし、ある程度の情報を収集しておくこと。そして、そこから推論できる仮説を、先に立てることなのだ。
 「そんなバカな!」と驚くかも知れないが、本当のことだ。仮説の前の仮説、つまりAという仮説を導くためにa、a’aa’というたくさんの仮説を用意しておく。そのなかにデータも含まれ、この場合、データはこの仮説を補強する役割を負う。
 もちろんデータが仮説を裏切ることもあるが、その場合はいくつか別の角度からリサーチされたデータ(仮説)にも当たってみる。
 その結果、まったく別の仮説が浮上することもあり、スリリングでなかなか楽しい仕事となるときもあるが、当然、その分手間と時間、それから費用もかかるので、そこまでの作業はしないことも多い。
 「データから仮説を立てる」ことの具体例としては、拙書をお読み下されば幸いです(笑):同書での筆名は「藤崎」ではありません)。

 では、仮説の反論はどうするかというと、その仮説が前提としている仮説をすべて取り除いて数字そのものを見ていくことである。
 そうすれば仮説の仮説が何を意図していて、それとデータの相関性にどれほどの信憑性があるのかが透けて見えてくる。
 最近、「データ読み」の仕事といえばこちらの方が圧倒的に多い。というのは、あまりにも仮説に対するデータの用いられ方が意図的すぎるからだ。
 例えば、「小学生の校内暴力件数増加」については、昨年『おそい はやい』(ジャパンマシニスト)に記事を書いた(同書での筆名は~以下同文~)。
 また、ニートについてのデータに関する反証はこちらを読んで欲しい「ニートの水増し大きなお世話」
 
 さて、冒頭の記事も、私からすると記事が立てている仮説の根拠となっているデータの論拠があいまいである。
 給食費の滞納総額が22億円あるという事実が何を示しているかということを述べる内容なのだが、よく注意して記事を読んで欲しい。
 文科省の調査では、昨年11~12月の間に、給食を実施している全国の小中学校計3万1921校のうち、過半数の学校では給食費の滞納がなかったのだ。
 児童・生徒数の割合では、100人に1人つまり、2~3クラスに一人が給食費を滞納しており、問題は「なぜ払わないのか」ということである。
 ここが最大のポイントであり、この記事では「親のモラルが低下している」という仮説を掲げている。

 しかし、「低下」という時系列での変化を示す言葉を使うには、給食費の年次別滞納総額の数字が記されておらず、むしろ明らかにされている「2~3クラスに一人」という人数が、昔から「給食費を払わない家庭の子」の割合はそのくらいあったのではないだろうか、との印象を持たせる。
 つまりこれらのデータによって「保護者の責任感や規範意識の欠如によって給食費が滞納されている」という仮説を導き出すのは、あまりに乱暴だ。

 さらに、この仮説の前提となっているデータはアンケートに答えた学校関係者による回答であり、いくらそれが6割といっても、一つのケースについて状況を把握しているわけでもなく、これもまたあくまで仮説の域を出ていない。
 滞納している児童・生徒数では9万8993人のうち281件の世帯については具体的な調査や具体策の検討がなされているとのことだが、このわずか0.28%というサンプルと先述の「6割」という数字にすら何の相関性もないということもぼかされている。
 また、このアンケートについても、どのような設問や回答の設定がされていたのかということも明らかにされていない。

 確かに、給食費はせいぜい月に3~4千円だから、それなりに小ぎれいな格好をし、携帯電話やゲームなども持っていそうな子どもの家庭が払えないのはおかしい、と言いたい気持ちもわかる。
 また、人の価値観はそれぞれだから、「頼んで給食を食べさせてもらっているわけではない」などと居直る親がいたことも事実かも知れない。

 けれども、前者に関しては「貧困」に対する時代の前提が違っていることからくる先入観に支配された見方だと思うし、後者に関しては明らかにレアケースではないかと思われる(これはあくまでも私の個人的意見)。
 記事はこうした検証よりも「アンフェア」に対する怒りと「モラル欠如」に対する危機感を煽るような構成となっており、それを象徴しているのがセンセーショナルな見出しである。
 これだけ読むと、まるで過半数のモラル欠如な親たちが22億円という給食費を税金からかすめ取っているかのような印象を受ける。

 「これだから最近の親は」「子どもより先に親を教育すべきだ」などという論調が沸き起こりそうだし、ストレスが溜まっているときに読めば、私でさえそれに追従してしまうかもしれない。
 そんなカラクリにのせられてしまったのが改定教育基本法だ、などという仮説を持ち出すのには根拠が乏しいのでこの辺で留めておくが、個人的にはそんな風に勘ぐっている(苦笑)。
 大手マスコミの記者諸兄には、ぜひとも政府や省庁が発表する数字について、彼らの仮説を鵜呑みせずに記事を書いて欲しいものだ。

 また、読む側に必要な意識とは、データは改竄されない限りそれ自体は事実だが、そこからさまざまなストーリーを生みやすい媒体だということを頭に入れておくことだ。
 データ分析の記事は、印象として客観的に読まれやすいが、非常に主観的に作られるものなのだ。だから、文章に数字(データ)が出てきたら、まず主語を探す。
 この記事の例でいうと、見出しの「6割」とは何が主語なのかということだ。もちろん、それは「モラル低下」している親の割合ではなく、給食費を滞納している世帯に対し、そのような印象を持っているアンケート回答者の学校関係者が「6割」ということ。

 そういう風に読む癖を付けて欲しい。
 本当はデータにだまされる読者が減ることは、私の「データ読み」としての仕事がやりにくくなることにもつながるのだけれど(笑)、あえて書いた。

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