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January 24, 2005

PTA活動奮戦記 3 ~引っ越し

 息子が小学3年になったら、実家から独立して生活しようと思っていた。親子二人きりの暮らし、それは本来なら離婚したことで始まるはずだった生活である。けれども私は別居期間を含め、離婚後6年以上も実家に住み続けた。
 両親に支えられた実家での母子家庭生活は、ある意味ですごく楽である。家事の手間は普通の主婦の半分以下だし、育児と仕事の両立についても大きな問題を抱えることはなく、経済的な面においても危機感は少なかった。
 けれどもそういう現実的な生活とはまったく別の次元で、私は絶えず葛藤していた。それは、大人の人間として、一人の子の親としてのあり方が、今の自分のままでいいのか、という問題についてである。

 私が息子の父親との結婚を解消して離婚を選んだのは、自分の価値観、人生観を彼のそれに合わせて生きることに折り合いが付かなくなったからだ。
 どんなに非難されても構わないが、私は自分のためにしか生きられない人間だということを結婚生活の3年間で思い知ったのだ。
 少なくとも誰かから「~のために生きろ」などと強要されるのは真っ平である。その対象が、特定の人物であれ、家族や会社や国家などの共同体であれ、正義や愛や神といった大義であれ、人生の目的を強制されることは断固拒否したい。
 しかし、だからといって、私は自分のためになることだけをしたいというわけではないし、「何か」のために生きている人を軽んじているわけではない。ただ、こういう自分の在りようを認めて欲しかっただけなのだ。
 今考えると、こうした自分の思いや願いを夫には上手く伝えられてはいなかっただろうし、当時はそれを表現する術も知らなかったように思う。
 いや、もしかしたら、この思いには「私は自分のためにしか生きないけれど、あなたには私や家族のために生きて欲しい」という醜い本音が隠されていて、どこかでそれが表れていたのかも知れない。
 いずれにしても元夫は私の言動に反発し、「主婦として、母親として、多くの人がやっていることを多くの人がやっているようにやること」を強要し、それ以外の何者も求めなかった。

 それは、恐らく「夫」というものが「妻」に対して求めるごく当たり前のことだったのだろう。けれども、強要されればされるほど、私は頑なになった。
 家族という共同体のなかで円満に生きていくには、こうしたエゴイズムをできるだけ削ぎ落としていかなければならないということは、当時も今も理解している。 
 だから、私という人間が自分らしさを失わずに生きていくには、結婚を解消するしかないと思っていた。そして、その判断と行動は正しかったと思う。
 幸運にも、親権を得ることができたため、私は息子と一緒にその成長を見守りながら暮らしていられるが、離婚を決心した当初は、たとえ一人きりになっても構わないという覚悟だったし、今後、彼が父親と暮らすことを選んでも受け入れるつもりだ。
 私にとって大事なことは、自分の考えやそれに基づいた行動を否定され、それに代わる何かを強要されることなく生きることなのである。

 ところが、離婚後の私は、人生において「自分の考えやそれに基づいた行動を否定されること」が最も多かった場所である実家に舞い戻ってしまった。
 両親は私に対し、上記のような「あらゆる面での庇護」というアメと引き替えに、「自分たちの価値観やそれに基づいた行動を強いる」というムチを振るった。
 もちろん、私はそれに反発したが、同時に、年功序列的な思考や大義に則る人生観など大きな部分では一致している両親にしても、ところどころで意見が食い違い、それをめぐって絶えず対立していた。
 そこに私が加わって、あるときには父と一緒になって母に反発し、あるときは母とともに父を糾弾し、またあるときは夫婦そろって私を非難した。
 あどけない幼児だった息子も、成長するにしたがって自己主張を始め、この三つ巴戦に加わることによって、家族内の人間関係は複雑化した。

 しかし、こうした悩みはなかなか理解されないものである。例えばこれが、離婚後の生活で育児と仕事に追われて疲れている、あるいは経済的に困窮しているという内容なら具体的で、問題解決の糸口をつかみやすい。
 けれども私が抱えている問題は抽象的で、ある意味“ぜいたくな悩み”とも言えるだろう。両親は元気で、母子家庭となった自分たちの生活を支えてくれている。
 客観的に見れば、その内容に対して文句をつけているだけの私が、ただ単に精神的未成熟なのだという考えも成り立つ。
 幸いにして、何人かの友人には受け止めてもらっていたものの、私はこうした家族の問題から、あるときは仕事に逃げ、またあるときには恋愛に逃げていた。
 息子との関係だけからは逃げてはいけないことは辛うじて自覚していたが、彼を取り残して、自分の居場所探しに奔走していたのだ。私が真剣に引っ越しを考え始めたのは、そんなときである。

 それはちょうど、離婚を考え始めたときの状況と似ていた。あのときもまた、私を否定する者との対立に疲れ果てた結果のことであり、常にそういう問題を引き寄せる自分には何かとてつもない欠陥があって、性格を根本的に変える必要があるのではないかという気持ちに苛まれた。
 けれども、どのように? そしてどうやって? というと全くイメージがわかない。両親の言うことに一切逆らわず、従えば良いのかもしれないと思い、そのように努力しても続かず、余計に自己嫌悪に陥る。
 積極的な自殺願望はなかったが、漠然と「生まれ変わるためには、いったん死ななければならないのだ」と思ってみたり、ニュースなどで事件や事故が報道されれば、その犠牲者となった自分を想像したりした。
 仕事に熱中していても、恋人と楽しい時間を過ごしていても、こうした不健康な思考から逃れられず、ついにうつ病と思われる症状が出始めた。
 幸い、私は以前、精神科医にうつ病に関する取材をした経験があったので、早期のうちに医療機関を訪ねることができた。
 トレドミンを処方してもらい、二週間に一度通院しながら、仕事と生活をこなしていたが、その事実は日常的に接する誰にも話すことはできない。
 ネット上に文章を綴ったり、古くからの付き合いの友人に話を聞いてもらったことがどれだけ救いになったことかと今にして思う。

 息子が小学3年生になった年の5月中旬頃、実家から徒歩2.3分のアパートに入居者募集の看板が出ているのを見つけた。問い合わせてみると、2DKで5万円という好条件である。  
 医者からは「うつ病の時は、消耗するような行動は止めた方がいい」と反対されていたが、私はこの数ヶ月間、「実家からの独立」「引っ越し」ということを常に視野に入れて行動していたので、このチャンスを逃したくはなかった。
 過去数度の引っ越し計画に対して強硬に反対してきた両親も、今回の物件には賛成し、いろいろと協力してくれた。
 日当たりのいい、こぢんまりとした部屋を見て、父がぽつりと「俺もあの家から引っ越したいよ」と言ったことに対して、私は「何を言ってるの。退職金をつぎ込んで建て替えた夢の家じゃないの」と笑った。
 医者から止められていたにも関わらず、引っ越し後の私はむしろ回復が早く、夏の終わりには薬も飲まず、クリニックにも行かないようになっていた。

 さて、これらの経緯が一体、PTAとどう関係するのかといえば、子ども会の役員をやっていたのも、初のPTA役員である「学年学級委員」を経験したのも、こうした状況と平行していたのだということを言いたかったのである。

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Comments

あしあとからお邪魔しました。色々と精神的な葛藤がおありですね。

私も、高校に勤務しながら、PTA役員を何回かやりました。空き時間しか使えない事を了承してもらってやりました。

経験的に思ったことは、やるなら積極的にやらなきゃ楽しくない。ってこと。

つまらない仕事を、つまらないと思いながら踏襲してては面白くない。

でも、私が面白くしようとする事は、往々にして先生方には面白くない。

つまり、親は学校に都合良いように動いてくれればいい、学校内のことには口出して欲しくない。って事。

最近は、教育委員会の方針でPTAも学校運営に口を出せるようになりましたが。
上からでなく、下からの改革でそうなって欲しかったです。 

鬱の治療で貴方が飲んでらした「トレドミン」は、家の知的障害(非常に軽度)の里子(男子)が
日常的に飲んでいる薬で、かっとなったり、イライラするのを抑えるホルモンの分泌を促すものとして処方されてます。
鬱の薬とは知りませんでした。

初めてなのにごちゃごちゃ書いてすみません。大変な中で自分の意思をを貫こうと苦戦なさっている事に感心して、書きました。

Posted by: 森本 晶子 | January 25, 2005 at 01:03 AM

コメントありがとうございます。

「つまらない仕事を、つまらないと思いながら踏襲してては面白くない。
でも、私が面白くしようとする事は、往々にして先生方には面白くない。
つまり、親は学校に都合良いように動いてくれればいい、学校内のことには口出して欲しくない。」

というのは実感しています。

PTAの活動内容も時代に合っているとは思えない一方で「先取りしすぎじゃないの?」と思う部分もありました。

それはおいおい書いていきますのでよかったらまた読んでください。

Posted by: 藤崎 りょう | January 25, 2005 at 01:51 PM

はじめまして、くぅすけといいます。
シングルマザーになった時、実家にもどらずママ友との共同生活を選びました。
PTA関係の一連の記事を拝見して
「自分たちはこの共同体でひとつの家族と思っているけど、学校から見ると2世帯なわけだから二人いっぺんに役員にさせられる可能性もあるんだなぁ」となんだか不安になってきました。
断固拒否する覚悟…決めておいたほうがいいのかもしれません。

今日はじめてこのブログを拝見しました。
さかのぼってじっくり読みます。ああ、楽しみ。
また感想書かせてください。

Posted by: くぅすけ | January 29, 2005 at 01:01 AM

ありがとうございます。

くぅすけさんの日記も読ませてもらいました。
いろんなライフスタイルがあっても、人は幸せになれるって感じられると、とても勇気づけられます。

PTAのことを書こうと思ったのは、
「いざとなったら飛び込んでみて、少しでも物事を変えられるように動いてみるのもひとつの方法だよ」
と伝えたかったからです。
感想や情報&ネタ提供大歓迎です

Posted by: 藤崎りょう | January 29, 2005 at 02:32 PM

ミクシーから来ました。

俺も小さな事だけど
やっぱし社会的概念とかと戦っちゃう方です。
自分の中の純粋な気持ちって大切ですよね。
応援しています。


これが何かの役に立てば良いが
フェミニズムです。
HTTP://now.ohah.net/jonah/diary/20030327.html
最初のHTTPは小文字に直してね。

Posted by: ヨーボー | January 30, 2005 at 07:13 PM

ようこそ。ヨーボーさん(^^)
コメントありがとうございます。

流れのままに生きるって、実は一番難しいことだったりします。
気が付けば、傷ついて、傷つけての繰り返しでも、笑っていられる時間もあって。
そういうのが大事なのかも知れませんね。

Posted by: 藤崎りょう | January 31, 2005 at 12:01 AM

どうも。PTAも大変だ。
ぼくも仕事で教育委員会や学校にいきますが。
親が自分で育てないで
学校任せにし過ぎ-って思うことあります。
危ない・悪いtっていいても
子どもにはその基準がわからないとおもうのだが。。

先入観的教育でなく
物事を一緒に考え導いていくようにと
思います。
時には厳しくそしてやさしくかな?
なんて、、
でも、頑張っているね!

Posted by: ちょうさん | February 11, 2005 at 02:00 AM

こんにちは。ちょうさん

大変だった(?)PTAの任期もあとわずかです。
明日は祭りの手伝いで焼きそば作りに行きます。

PTAの活動を通じて一番考えさせられたのは「私」と「公」のあり方とかその境界の問題でした。

「子育て」は私的な行為なのか? それとも公的事業なのか
・・・多くの問題の根本はそこではないかと・・・

難しいです。あまりに壮大なテーマです(笑)
だからひとつ一つ整理しながら、ここでブレストしようと思ってるんです。

また読んで、意見を下さい m(_)m

Posted by: 藤崎 りょう | February 11, 2005 at 05:44 PM

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